農家の子どもが誇りを持てる社会へ――ある農家さんとの会話で気づいたこと

2026.04.14

農家の子どもが誇りを持てる社会へ――ある農家さんとの会話で気づいたこと

先日、取引先の農家さんと話をしていて、忘れられない言葉を聞きました。

その方の息子さんが通う学校に、その農家さんが育てた野菜を届けたときのことです。せっかくなので「お父さんが作った野菜ですよ」と学校にもっと強く伝えていきますね、と話したところ、少し間を置いてから、こう言われました。

「あまり目立つようなことはしたくないんです」

意外な言葉でした。なぜですか、と聞くと、静かに話してくれました。


忘れられない記憶

その農家さんが子どものころ、学校でクラスメートに農家だとわかったとき、こんな言葉を浴びせられたそうです。

「汚い」「臭い」

それがいじめのきっかけになった。自分がどれだけ傷ついたか、今でも覚えている。だから自分の息子には、同じ思いをさせたくない。学校で農家の子だと目立ってしまえば、また同じことが起きるかもしれない。だから、あまりアピールしないでほしい——。

その言葉を聞いたとき、胸に何かがつかえるような感覚がありました。そして同時に、静かな怒りのようなものも湧いてきました。

食べ物をつくって生きている人が、なぜ「汚い」と言われなければならないのか。土に触れて働くことが、なぜいじめの理由になるのか。


「百姓」という言葉を馬鹿にした人が、野菜を食べている

実は私、農家の生まれでありながら、以前はサラリーマンとして東京のど真ん中で働いていた経験があります。毎日かっこいいオフィスビルに出社して、パソコンを叩き、お客様のもとへ営業に行く。スーツを着て、名刺を交換する。そういう生活を送っていました。

その頃、職場でこんな場面に出くわしたことがあります。同僚が「百姓」という言葉を、明らかに馬鹿にするようなニュアンスで使っていたのです。

でも、その人、こんなことも言っていました。「野菜食べないと体に悪いよね」と。

……百姓がいなければ、その野菜も食べられませんよ?

自分の仕事は上で、手を汚している人は下。そんな上下関係など、本当はどこにも存在しないはずです。それなのに、なぜか「土を触る仕事」は下に見られやすい。スーツを着てオフィスで働くことが「かっこいい」で、泥だらけで畑に立つことが「かっこ悪い」という空気が、社会のどこかに確かに漂っています。

手を汚して一生懸命に働く。そのどこがかっこ悪く、卑下されるべきことなのでしょうか。


どちらの仕事も「大変」で、どちらにも「意味」がある

農家は大変だね、とよく言われます。でも、両方を経験した私から言わせてもらうと、どちらも同じように「大変」です。

サラリーマン時代も、休みの日にお客様から電話がかかってくることがありました。夜遅くまで残業することもある。たくさん結果を出しても、給料にはなかなか反映されない。そういう「大変さ」がありました。

農業には農業の大変さがあります。天気に左右される。体を酷使する。収入が読めない時期もある。でも、それはサラリーマンの大変さと優劣をつけるものではない。

すべての仕事に「大変」があって、すべての仕事に「意味」がある。

農家だからダメだ、なんてことはないはずです。どんな仕事でも、そこに真剣に取り組んでいる人がいる。その人の仕事を、やったこともない人間が軽々しく評価したり、見下したりしてはいけない。

汚くて何が悪い。泥だらけで何が恥ずかしい。その泥の中から、誰かの食卓に並ぶ野菜が生まれているのです。


農家は、恥ずかしい仕事なのだろうか

私自身、11代続く農家の生まれです。今も自ら野菜を育てながら、地域の農家さんの野菜を学校給食に届ける仕事をしています。

「かっこいい仕事か」と聞かれれば、正直に言います。泥だらけになるし、天気に左右されるし、体も使う。華やかさとは無縁の世界です。

でも——恥ずかしい仕事だとは、これっぽっちも思っていません。

食べ物をつくるということは、人が生きることを支えるということです。誰かの一日の始まりに、誰かの子どもの給食に、自分が育てた野菜が並ぶ。毎日の食卓を支えているのは、全国の農家さんたちです。それ以上に誇らしいことが、他にあるでしょうか。

農業という仕事は、人類が何千年もかけて受け継いできた営みです。11代続く農家として生まれた私には、その重みが肌感覚でわかります。かっこいいとか悪いとか、そういう次元の話ではない。人が生きていく上で、なくてはならない仕事なのです。


子どもたちに伝えたいこと

その農家さんの話を聞いてから、ずっと考えていることがあります。

農家の子どもたちが「お父さんの仕事はかっこいい」と思えない社会は、何かがおかしい。

汚れることは、かっこ悪いことじゃない。
土に触れることは、生きることに近いということ。
野菜をつくることは、誰かの命をつなぐということ。

それを、子どもたちに伝える場をつくりたいと思っています。学校で、給食の時間に、あるいは授業の中で、「この野菜を作ったのは、あなたの近くで働くお父さん・お母さんたちだよ」と。

私が学校給食の事業をしているのは、地域の農家さんと地域の子どもたちをつなぐためでもあります。ただ野菜を届けるだけでなく、誰がつくったのか、どこで育てられたのか、そういう「顔の見える食」を広げていきたい。

農家に生まれた子どもたちが、親の仕事を誇りに思えるように。そして将来、「自分もお父さんの後を継ぎたい」と思ってもらえるような農業の未来をつくっていきたい。農業の担い手不足が叫ばれる今、次世代が農業に魅力を感じてくれることは、地域にとっても大きな希望です。


農家を「誇れる職業」に

農BASE合同会社を立ち上げたのは、地産地消を進めたいという想いからでした。さいたま市内の学校給食に地元の野菜を届けることで、農家の販路をつくり、地域の食を豊かにする。それが最初の動機です。

でも今、それに加えてもう一つの使命を感じています。

農業を、誇れる仕事にする。

農家の子どもたちが胸を張って「うちはお父さんが農家なんだ」と言える社会。給食を食べながら「この野菜、うちのお父さんが作ったんだよ」と誇らしげに話せる子どもが増える社会。そういう社会の実現に、少しでも貢献できる存在でありたいと思っています。

あの農家さんが子どもの頃に受けた傷は、消えることはないかもしれません。でも、次の世代の子どもたちが同じ思いをしなくて済むように。農家であることが、誇りの源になるように——そのために自分にできることを、これからも続けていきます。


よくあるご質問

なぜ農業は「汚い」「臭い」と見下されがちなのですか?

記事では、土に触れる仕事が社会的に低いと見なされる風潮や、過去のいじめ体験が背景にあると述べています。しかし、これは偏見であり、農家は人の命を支える誇り高い仕事です。

農BASE合同会社は、農業のイメージ改善にどう貢献しますか?

農BASEは地産地消や学校給食を通じて、地域の農家と子どもたちをつなぎます。生産者の顔が見える食を広め、農家の子どもが親の仕事を誇りに思える社会を目指します。

ご賛同・協力頂いている「さいたま市の農家様」

  • 鈴木屋

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